宮脇咲良さんとの話

 宮脇咲良さんが、HKT48を卒業する。

 

 5年前の僕にこの知らせを伝えることができたとしたら、最後の握手会では何を話したか、卒業コンサートには参戦できるのか、卒業後はやはり女優として活動するのか、などと重箱の隅が陥没するくらい事細かに聞かれただろうし、「卒コンには現地参戦しない」なんて答えた日には、胸ぐらを掴んで問いただしてきたはずだ。いや、感情に任せて相手の胸ぐらを掴むような真っ直ぐな人間では無かったか。

 2021年6月の世界線では、最後だという自覚を持って臨める彼女との握手会は存在せず、卒業コンサートは当たり前のようにオンラインで配信され、あの頃よりもずっと遠い存在になった彼女は、どうやらとてつもなく広い世界へと羽ばたいていくようだった。

 僕はと言うと、2016年末の島崎遥香さんの卒業を機に48Gから離れ、女優となったぱるるの応援に残りの人生のすべてを捧げるかと思いきや、その半年後に日本デビューしたTWICEの熱烈なファン、いわゆるONCEとなった。IZ*ONEの一員となった彼女と、K-POPの世界で運命的なすれ違いを果たしたりもしながら、そのまま気づけば4年近くが経過していた。思うに、アイドルオタクは、趣味ではなくて性格なのだ。「やめる」とかそういう次元の話では無い。

 

 時間は、目まぐるしい変化を乗せて急速に流れていった。5年前には想像しようもないSFみたいなこの世界で、僕は今日、彼女の卒業コンサートに"参戦"する。

 言ってしまえば、あの頃とは想いの強さが違う。見ていない彼女の動画も、聞けていない彼女のラジオも、知らない彼女の曲すら存在する。これは紛れもない事実で、それを否定することは、彼女に対しても、いま彼女のことを大好きなファンの方々に対しても、どうにも不誠実に思えるからやめておく。ただ、あの頃の僕が、彼女のことを想いながら過ごした時間は何物にも代え難い"本物"で、あの時間たちを積み上げたその上に、現在の僕は立っている。

 きっと今日は、そういう記憶を一枚一枚めくりながら振り返るべき日なのだと僕は思う。今から書き記すのは、思い出せる限りの、あの頃の僕と宮脇咲良さんとの話だ。

 

2014

 ありきたりな書き出しになるが、彼女との出会いは確か、『ラブラドール・レトリバー』のMステだったと記憶している。古参ぶりたい!みたいな邪な気持ちから、もっと昔から好きだった、なんて嘯いたこともかつてはあったかもしれないが、ここが本当の最初である。島崎遥香さん目当てで見ていたところ、一瞬彼女が映りこんだときの「AKBにあんなに顔がかわいい女の子いた?見間違い?え、もう一回映してもらえる?」と動揺したその心中は、今でも思い出すことができる。推しを見つけた瞬間というのは、他のどこでも体験しようがない"はじまりの予感"が体内に轟くのだ。

 それから少しして『希望的リフレイン』のセンターが発表された日、僕はTwitterのアイドルオタクアカウントを初めて作った。「2014年9月からTwitterを利用しています」という無機質な表示が、僕にこの大切な日を思い出させてくれる。ちゃんと情報収集をしたいという考えもあったが、独りで好きでいるのではなく、誰かとこの感情を共有したいと思ったのだ。

 何から始めていいのか見当もつかないまま勢いに任せてフォローを飛ばすと、優しいオタクの皆さんがフォロバしてくれた。別のアカウントを使っている今でも、そのときフォローを返してくれた数人がFFとしてそこにいてくれることは、それぞれが違う誰かを好きになり、いいねを飛ばすことすら珍しいような関係性ながらも、どこか嬉しさと安心感がある。彼女との出会いは、彼女のことを好きな人たちとの出会いでもあった。

 

2015

 さて、『マジすか学園4』というドラマがこの世には存在した。ストーリーはどうでもいい(と言いつつ、相当しっかりめに覚えている)のだが、僕に効く配役だったので印象深い作品である。当時アイドルオタク初心者だった僕は、「ドラマまで追うくらい好きなんだぞ」という謎の気概を携えながら視聴していた覚えがある。修学旅行先のファミリーマートで、マジすか学園特集のAKB新聞を買い、初めてアイドルにお金を使った。それからは、彼女が表紙を飾るたびにありとあらゆる雑誌やコミック誌を買い漁った。今でも僕の机の下には雑誌とそのスクラップが所狭しと並び、ふと視線をやれば微笑んでいる彼女と目が合ってしまう。

 『希望的リフレイン』の後に『Green Flash』、そして『僕たちは戦わない』と続き、その間に『12秒』までリリースされたこの半年は、好きな気持ちがとめどなく高まり続けていた。好きになって少し経った頃というのは、いちばんアクセルが踏み込まれる時期なのだ。繰り返し指を差すフリとか、お風呂で泣いてるシーンとか、白いTシャツにピンクのパンツで踊るMVとか、指折りカウントダウンするラストとか覚えてますか?こういうひとつひとつが片っ端から心に刺さって、ふと気がつくと彼女のことを考えていた。

 ぐぐたすへのコメント競争に命を燃やしていたのも、この年である。や、ぐぐたすの話をしようとすると、懐かしさで笑えてきてしまう。更新を繰り返す日付が変わる周辺のあの時間がノスタルジックで、「さくらたすコメ完了!(その日のぐぐたすにあがった自撮りを添付)」のツイートで溢れたTLが目に浮かんで、それでいて今思うと本当に馬鹿馬鹿しいな、ぐぐたす。そもそも、コメント数に上限があるのなんなんだ。しかも500って。

 あの頃は想いを直接伝えられる場所が本当にあれくらいしかなかったから、本当に必死で毎晩毎晩コメントを書き綴っていた。Twitterやら755(完全に死語)やらを始めるってなったときに、僕含めぐぐたす過激派が「ぐぐたすでいいよ〜他はやらないで〜」って気持ちになってたのは、行くところまで行って狂ってたけど。ただ、毎日自分の感情を言語化して彼女のところまで届けるというこの作業はどう考えてもカロリーが高くて、それができるだけの強い想いを募らせていたのだと思うと、僕にとってはぐぐたすにまつわるたくさんの時間と言葉が、すごく大切な青春のように感じられて、今でも本当に愛おしい。

 

2016

 僕が今は亡きセンター試験を迎える頃、『君はメロディー』のセンターが決まったのを覚えている。言い忘れていたが、僕のアイドルオタクとしての生活は、大学受験と隣り合わせの存在であり、ここまで一度も現場には行けていない。彼女への想いは、受験勉強の大変さと比例するかのように強まって、いわば人生における光と陰、対を成しながらどちらも濃さを増していった。深夜のぐぐたすがあるからそこまでにカタをつけようとか、金曜日のMステに合わせて計画を立てようとか、様々な形で糧になったのが彼女の存在であったことに間違いはない。

 なんだかんだ無事に受験を済ませ、『君はメロディー』の円盤が届き、ペプシSAKURAを携えて迎えた3月19日のことを、僕は一生忘れないのではないだろうか。日付変更に合わせてプシュッと開けたペットボトルを片手に、部屋の片隅で"さくら味"なる独特の風味を漂わせながら、お祭り騒ぎのTLに浸っていたあの時間。真っ只中にいた自分よりも、いま振り返った自分のほうがよく分かる。あれは本当に幸せだった。

 大学に入学し、待ちに待った初めての握手会はと言うと、無券参戦だった。下見がてら握手会を覗きに行き、"咲良オタ"を中心に当時のFF数人と初めて顔を合わせた。彼らとなんとなく会話をしながら「ほんの数十メートル先にいるんだよな」と心の奥で思っていたのを記憶している。これ以降握手会に行きすぎてどうにも記憶が混濁しているのだが、みんなと一緒にパシフィコ横浜から横浜駅までふわふわと歩いた夜道は印象に残っている。

 彼女との謁見がようやく叶ったのは、『74億分の1の君へ』の全国握手会だった。ミニライブに関しては、もはや朧げにしか思い出せない。握手会の時間となり、馬鹿みたいに長いレーンに並び始めてからも特に実感が湧いていなかったが、あと数人というところまで来ると、本当に人生でいちばんの心拍数になった。この場で倒れるかもな、くらいは本気で思った。

 「初めて来ました」

 今となっては、なんと返事をしてくれたのかをはっきりとは覚えていない。ただ、至近距離で見た彼女の比類なき笑顔と、去り際にぎゅっと強められた彼女の握力は、僕の心のすべてを引き摺り込むには十分すぎた。それからは足しげく握手会に通った。色々な話をしたはずなのに、これも残念ながらほとんど覚えていない。僕の記憶に刻み込まれているのは、僕に笑いかけてくれる彼女の、鮮やかな面影だけである。

 

2017

 島崎遥香さんがAKB48を卒業し、手元に残るは『ハイテンション』で購入した握手券だけとなった。僕が最初に好きになったのが島崎遥香さんだったのは事実で、それは例のMステよりももう少し前の話になるわけだが、アイドルオタクを始めるときに「ぱるるが卒業したら僕もオタクを卒業しよう」という保険をかけて、この狂気に満ちた世界へと足を踏み入れた。今もなおオタクを続けているという事実を前にして、この保険がなんの意味も成していないことは明白なのだが、僕を彼女からひとたび引き離すという役割だけはしっかりと担ってしまった。

 今ここで言うと尚更皮肉な話だが、推しの卒業とは言葉には表せないほど感慨深くて、発表からその当日までそればかりを考えさせられる、そういう魔力を秘めている。当時の僕は、最初に好きになったアイドルである島崎遥香さんのことばかりを考え、正直2016年後半以降の僕の中では、彼女の存在がその1年前と比べて翳りつつあった。客観的に見れば、選抜総選挙および『LOVE TRIP』あたりで彼女のテンションも若干下がっていた、というのも少なからず理由としてあるのかもしれないが、推しのせいにするのは絶対に違うのでやめておく。とにかく、そのときの僕は「好きじゃなくなって離れる」ことがいちばん恐ろしく思えて、その前に自分の意思で離れよう、という気持ちを抱えていたのをよく覚えている。その理由づけが、アカウントを作ったあの日から温めておいた、島崎遥香さんの卒業だったのだ。

 2月4日、僕の19歳の誕生日に、最後の握手会に臨んだ。本当の最後になるとは思っていなかったのだが、結果的にはこれが最後の握手会である。僕にとっては「最後」だけど、もちろん彼女にはこれ以降来なくなるなんてことは言わず、ただの「誕生日のオタク」として列に並んていた。この頃には、気が合うオタクの友だちがちゃんとできていて、僕の前に並んだ友だちが「後ろの人が誕生日だから祝ってあげて!」なんて言ってくれたりしたのは嬉しかった。なんと、初めてサインも当たった。最後の握手会が自分の誕生日で、サインまで当選してしまうなんて、いやでも集大成を感じさせられた。今日が最後でいい、と思わされた。

 心残りの一つくらい、あったほうが良かったのかもしれない。

 あの日、同い年の彼女と、お互い20歳が近づいたということで、興味があるお酒の話になった。あれから彼女はチューハイを飲んだだろうか。僕はなんだか飲めずにいる。

 

 

 決して全てではないが、これが僕と宮脇咲良さんとの話だ。

 実はこの後、3月に春祭りというステージだけは見に行った。握手会とは違って、どの瞬間も大勢の中の一人だった。砂浜の砂つぶみたいに。この日、オタクの友だちとも別れを告げた。

 本当に些細で、それでいてとびっきり楽しかった思い出もまだまだある。帰り道で立ち寄ったガストも、狭い個室で騒いだカラオケも、パシフィコ横浜のかたい床の上に何時間も立たされる、握手会の待ち時間すら楽しかった。それはそばに彼女がいたからだ。誰かを好きであるというただそれだけの事実が与えてくれる幸せは、本当に大切にするべきだということを現在の僕は知っている。あの頃はちゃんと気づいていなかった。

 

 あのまま好きでいたら、あるいはどこかのタイミングで戻っていたら、僕はどうなっていたのかなんて分からないし、むしろ考えないようにしていた。それでも、例えばIZ*ONEの公式ツイートのリプ欄に、馴染みのあるアカウントを見かけたときに、なんとも言葉にしづらい少しばかりの罪悪感を味わったり、文字通り世界中の多くの人に知られるようになった彼女を見ながら、自分の手の中にあってもよかったはずの何かがすごく遠くに離れていくような、そんな喪失感を覚えたりはした。

 そんな現在の僕のモヤモヤとした想いは、あのまま好きだった世界線の僕や、どこかのタイミングで戻っていた世界線の僕のそれに比べたら、あまりに小さく儚くて、彼女にも、彼女のファンにも、どういう顔を向ければいいのかわからない。本来そうであるべきではなかった中途半端な気持ちで、今日の卒業コンサートを迎えてしまっていることくらい、自分がいちばんよく知っているのだ。彼女のことをあまりに遠くから見続けていたせいで、文字通りの通過点のようにすらこの卒業を感じてしまう自分の冷たさが、あの頃の友だちと完全には共感しきれない切なさが、僕に4年の経過を感じさせる。何を忘れてしまったのだろう。新しいものばかりを探して。

 それでも、かつての自分自身の選択に後悔はしない。彼女の姿を追いながら、この胸が切なくて苦しかったあの頃、僕は本当にたくさんの感情と思考を経験し、それを土台に今のアイドルオタクライフが成り立っている。その中で、僕は今も色々なことを思ったり感じたりしながら、それをあの頃と比べて懐かしむことも少なくない。今日の卒業コンサートを見て、僕が強く何かを感じられるかと言われるとその自信は無いけれど、泣きたかったあの頃を思って涙を流し、幸せだったあの頃を思って笑顔になれる。そんな気がする。ここまで語ってきた僕のアイドルオタクとしての時間にとって、ひとつの"終わり"であることに間違いはないから。

 4年の月日が流れようとも、彼女以上に好きになれる、いや"ガチ恋"してしまうアイドルには結局出会っていない。正直な話、いちばん好きな女の子、あるいは好きなタイプを聞かれたら、今でも彼女の名前を答えている。そんな僕は、いや、僕たちは、これから死ぬまで、3月19日が来るたびに「誕生日だな」と思ってしまうことを、どうしたって避けられないのだ。何より、彼女の誕生日を忘れてしまったら、僕はいくつかのアカウントにログインできなくなってしまう。それが一度アイドルを推したということの意味であり、推しとともに流れた時間と感情の残滓なのだ。

 

 

 最後に、宮脇咲良さん、卒業おめでとう。

 本当に卒業すべきかとか、いつ卒業すべきかなんてことは、賢いあなた自身がいちばん深く考えたことだろうし、その決心を100パーセント尊重して、どんな形になったとしても祝福していたと思います。

 あなたがこの先どこにいて、何をしていても、その姿を見ることができたら、僕はなんだか安心して日々を過ごせるような気がします。独りよがりな気持ちですが、僕にとってあなたはそういう特別な存在です。

 アイドルになってくれてありがとう。あなたに幸せでいてほしい。

 

 

 ここまで目を通してくれた、きっと宮脇咲良さんのことが好きなのであろう皆さまにも感謝します。こんな戯言のような文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。