思い出にするにはまだ早すぎる

 書こうか書くまいか悩んだけれど、いつかの自分自身のために、いま感じていることをここに書き残そうと思う。できるだけ早く感情を詰め込んでおかないと、こんな前置きを書いているこの一秒一秒の間にも、強烈だったはずの感情がだんだんと薄れていって、一生思い出せない心の片隅に逃げ込んで行ってしまうような気がする。

 

 

 理性も感情もぐちゃぐちゃに混ざり合い、「いくつ言葉を並べてみたってこの想いは伝わらないだろう」という歌詞そのままの状態に迷い込んでいたとき、なぜかふと自分の中でしっくり来る感想が浮かび、急いで打ち込んだのがこのツイートだ。

 ひとつ前のブログにも書いていた通り、4年間も心を離していたのだから、ところどころで懐かしさは感じたとしても、卒業コンサートの数時間は、すんなりと僕の中を通過していくものだと予測していた。現在進行形のファンと比べれば、何かがこみ上げて来るなんて、いや、そもそもこみ上げて来るその"何か"すら持ち合わせていないのが自分だと思っていたのだ。

 しかし、そんな想像は開幕後一瞬にして散り、僕は正直一曲目のさくたべからもう泣き出したくて仕方なくなってしまった。この卒業コンサートは、僕が宮脇咲良さんと出会い直す、そんな時間だった。

 

希望的リフレイン

 僕はこの短い人生の中で、どれだけの回数この曲を聴いてきただろうか。歴代のセンターたちが金色のマイクをリレーするあの映像を、何度見てきただろうか。

 卒業コンサートにおけるパフォーマンスの何が特別かというと、もちろんそれが最後の機会だということなのだが、言い換えれば、これまで当たり前のように何度も見てきたその曲とパフォーマンスが、いまここで明確に終わりを迎えるという事実と向き合いながら、目の前で止まることなく展開される、ということである。その向き合いと覚悟によって我々ファンの側にもたらされるのは、その瞬間の「これで終わってしまう」という寂しさだけではなく、今日までのその曲を聴いていたありとあらゆる瞬間への恋しさだと僕は思う。もっと言えば、むしろ僕はその思い出たちに、より強く感情を揺さぶられるのを感じた。

 高校からの帰り道に、小さなツタヤがあった。冬の寒さも厳しくなってくる頃、時間があればそのツタヤに立ち寄って、視聴用のヘッドホンから『希望的リフレイン』を大音量で聴いていた。大学に向かう混雑した電車の中、ドアに押しやられて仕方なく窓の外を眺めていたときも、イヤホンからは『希望的リフレイン』が流れていた。そういうひとつひとつの『希望的リフレイン』が、最後であるという覚悟を胸にすることで一気に思い出されるのである。

 涙が流れるのは、感情が脳の容量を超えて溢れ出したときだと言うが、普通の日常でそんな事態はなかなか起こらない。僕はこの曲が本当に大好きだったし、聴くたびに「好きだなぁ」という感情は抱いていたけれど、それは決して脳の容量を超えるほどの強さではなかった。でも、そうやって今まで少しずつ感じていた「好き」が、卒業コンサートという最後を意識させられるこの場では、全て足し合わされて襲いかかってきたかのように思えた。そして、長い時間をかけて積み上げられたこの感情は、当たり前のように脳の容量を超えるのだ。

 

LOVE TRIP

 「Love trip 帰ろう 胸の奥にしまっていたあの頃」

 「恋はいつしか上書きされて行くもの だけど最初の切なさ覚えてる」

 「恋は消えずに心が蓋をするもの だから時々開いてみたくなる」

 これは全部本当にそう。改めて聴いて、こんな歌詞だったんだ、とため息が出た。今の自分にあまりに深く刺さりすぎて、ステージ上で舞う宮脇咲良さんがあまりに清く美しくて、ここで涙が止まらなくなってしまった。今日この日から『LOVE TRIP』を聴いたら自動的に涙が流れる、パブロフのオタクになるかもしれない。もう聴くのが怖い。

 この卒業コンサートは、僕にとってどうやらLOVE TRIPなのである。僕には、咲良ヲタとして生きた2年半という決して短くはない"あの頃"が存在し、飽きたというわけでもないのに距離を置いて"心が蓋をした"のだ。新たに好きなアイドルと出会いながらも、どこかでずっと"最初の切なさ"を抱えながら日々を過ごし、4年間という時間を超えて、"あの頃"のままの感情をひと思いに"開かれた"のが、この6月19日だった。

 僕はアイドルのファンであり、そこに介在していたのは恋ではない(と言ったら嘘になるかもしれないが)ので、この歌詞への共感の仕方はおそらく正しくないのだろう。だから、勝手に自分に当てはめるなというご指摘をいただきそうなのだが、そこには時間の経過とそれに伴う感情の変化が最大公約数的に存在し、時を経て変わってしまった自分の気持ちと、実は変わっていなかった自分の気持ち、その両方に気づかせてくれた『LOVE TRIP』のパフォーマンスは、この卒業コンサート全体の中でもかなり強く印象に残るものだった。

 

大人列車・12秒

 当然来てくれるだろうなという想像はしていたものの、卒業生のコメントVTRに二人がいないことでホッと安心し、今か今かと待ち望んでいた最高のタイミング、そして最高の曲目で登場した二人の戦友、はるっぴとさっしーを見て、その日いちばんの笑顔を浮かべながら僕は泣き崩れてしまった。

 めちゃくちゃオタクな話をすると、『大人列車』の歌い出しの「動き出した車輪」、この一文字目の「う」が特徴的なはるっぴの声で発された瞬間の「これだ!!!」という衝撃がもう本当に凄まじかった。非常に申し訳ないことに、僕の中でのHKT48は4年前のまま一度止まっているから、この二人が横に並んだときには、これぞHKT48と思わされる納得感があった。そして、久しぶりに同じ画角に収まっている二人を見たときに、二人のそれぞれに色々な苦難があり、二人の間にもきっと楽しいだけではないたくさんの出来事があったのだろうと想像したら、眼前に広がっている景色がすごく奇跡的なものに思えてならなかった。

 『12秒』でさっしーまで並んだ瞬間のえも言われぬ懐かしさは、至極当然のように感情への揺さぶりを加速させた。いま改めてよく考えると、我々があれを見て感動できるのは、その三人がセンターを張っていたかつての時代を知っているから、というだけが理由ではない。かつての時代を知り、そして、彼女たちがいなかった時代があったことを知っているからこそ、強く心を動かされるのだと思う。当たり前だったものが失われ、この卒業コンサートがあったからまたこの姿に出会えたのだという、今日という日の特別さをさらに濃密に感じさせられたのがこの瞬間だった。ラストのカウントダウンを恥ずかしがっているさっしーが、あの日のMステの記憶を僕の元まで運んで来るのだ。

 宮脇咲良さんが抱え続けていた、さっしーの卒コンに参加できなかったことへの申し訳なさも、マリンメッセを埋められなかった頃のエピソードも、三人が同じステージに立っていることの意味も、きっと僕たちとは比べ物にならないくらいの思いが彼女たちの中にはあって、ファンの立場からはどうやっても共感できないのだろうけれど、涙ながらに語り合うその姿を見て、ただただ純粋に、美しいな、と思った。

 

君はメロディー

 例えば、「宮脇咲良10年の軌跡」と言われて紹介される、彼女が歩んできた歴史というものは、非常に客観的なものである。いつデビューして、いつセンターになり、いつIZ*ONEになって、いつ卒業を発表したか。これを見ただけでも、その素晴らしい成長や圧倒的な進化を感じて心に来るものはあるのだが、僕たちが最も胸を打たれるのは、宮脇咲良という存在と自分とが交差しながら進んだ歴史なのではないだろうか。

 「45thシングル選抜総選挙宮脇咲良は第6位だった」という出来事を聞いたとき、その頃の僕は大学1年生だったとか、いちばん握手会に通っていた時期だったとか、そういえば握手会での話題作りも兼ねてさくめーるでさくらクイズが出題されていたとか、そういう"宮脇咲良さんを軸に自分が過ごしていた時間"を僕は思い出す。そして、このような主観的な時間と記憶を携えているからこそ、客観的な歴史を紹介されたとき、自分の中にもリアリティーのある今日までの時間の流れが立ち現れ、その間の様々な変化を思って涙するのである。

 僕が大好きな曲のひとつである『君はメロディー』は、『LOVE TRIP』よりも穏やかで間接的でありながら、時の流れと心変わりをより強烈に感じさせる。

 「何を忘れてしまったのだろう? 新しいものばかりを探して 今の自分に問いかけるようなあのMusic」

 ここで言うところの「あのMusic」が、僕にはこの『君はメロディー』自体になっているのだが、聴くたびに「何かを忘れている」ということを思い出させてくれるのがこの曲だ。僕は、僕の中にある僕だけの「宮脇咲良の歴史」を大事にしなければいけない。忘れてはいけない。卒業コンサートで莫大な時間の流れを前にして散々涙を流した後、終盤も終盤に披露された『君はメロディー』を聴きながら、そんな風に自分に言い聞かせた。こうやって感動できることそれ自体が、僕が宮脇咲良さんとともに過ごした時間の証左であって、感動できたという事実にこそ、すごく貴重で大きな意味があるのだ。

 

 

 ここまでの曲名と感想は、いま振り返って強く思うところがあった箇所であり、また、曲名を見出しに冠しながらも、特にその曲に限定した感想だけを述べていたわけではないのだが、もちろんここには書ききれていないたくさんの部分で、僕は泣かされ、笑わされた。歌って踊りながら見せてくれる、彼女のふとした瞬間の表情に時を戻され、他のメンバーの言葉や視線に時を感じさせられた。言って見れば、言葉をどれだけ紡いでもキリがないのである。

 MCで村重が「少しは嫌な奴になって戻ってきてほしかった」と言っていた。本人は、警備員の話とか獅子舞の話とかを気に入ってほしそうだけど、なんというかこの言葉に彼女たちの関係性の"全て"を感じて、本当に印象的だった。繰り返し書いているように、時間の流れとは変化をもたらすものであって、一度距離をとって時間が経てば、次に出会うときには何かが変わっていて然るべきなのだ。僕たちはきっと、多大なる変化を思って感動し、そうやって変化を感じることでようやく気づける"変わらなさ"を知って再び泣いてしまったのだろう。

 

 

 「昔から支えてくれる皆さんも、最近好きになってくれた皆さんも、昔は応援してたけど今はそこまで...って方も、(中略)私はその全ての人に感謝の気持ちを伝えたいです」

 この数年間、サヨナラに永遠の誓いを込めたばかりに、好きだよと言えず、胸の痛みに気づかないフリをしながら過ごしていた。歌詞に掛けただけの冗談みたいだが、正直なところこれは本心で、また、そんなことを思っている自分があまりに身勝手にも思え、昔のアカウントに今さらどんな顔でログインすればいいのかと迷ったりもした。本当に、どこにも合わせる顔がない。自分から去っておきながら、なんとも馬鹿な話である。ただ、心のどこかに引っかかっていた、そういう小さなトゲみたいな思いが、彼女のこの言葉ですっと溶けて、涙とともに流されたように感じた。ドンと、胸を突かれるような思いがした。一番目の「皆さん」にはなれなかったけど、僕はやっぱりこの人のことが大好きなんだと思う。

 

 7年前の初夏、あなたに出会えて本当に良かった。

 2021年の初夏、あの頃のたくさんの思い出と一緒に、再びあなたに出会い直すことができて本当に良かった。

 そしてまたいつの日か、この卒業コンサートの思い出まで携えて、どこかで出会うことができたとしたら、こんなに幸せなことはないだろう。

 

 ......いや、思い出にするにはまだ早すぎる。

宮脇咲良さんとの話

 宮脇咲良さんが、HKT48を卒業する。

 

 5年前の僕にこの知らせを伝えることができたとしたら、最後の握手会では何を話したか、卒業コンサートには参戦できるのか、卒業後はやはり女優として活動するのか、などと重箱の隅が陥没するくらい事細かに聞かれただろうし、「卒コンには現地参戦しない」なんて答えた日には、胸ぐらを掴んで問いただしてきたはずだ。いや、感情に任せて相手の胸ぐらを掴むような真っ直ぐな人間では無かったか。

 2021年6月の世界線では、最後だという自覚を持って臨める彼女との握手会は存在せず、卒業コンサートは当たり前のようにオンラインで配信され、あの頃よりもずっと遠い存在になった彼女は、どうやらとてつもなく広い世界へと羽ばたいていくようだった。

 僕はと言うと、2016年末の島崎遥香さんの卒業を機に48Gから離れ、女優となったぱるるの応援に残りの人生のすべてを捧げるかと思いきや、その半年後に日本デビューしたTWICEの熱烈なファン、いわゆるONCEとなった。IZ*ONEの一員となった彼女と、K-POPの世界で運命的なすれ違いを果たしたりもしながら、そのまま気づけば4年近くが経過していた。思うに、アイドルオタクは、趣味ではなくて性格なのだ。「やめる」とかそういう次元の話では無い。

 

 時間は、目まぐるしい変化を乗せて急速に流れていった。5年前には想像しようもないSFみたいなこの世界で、僕は今日、彼女の卒業コンサートに"参戦"する。

 言ってしまえば、あの頃とは想いの強さが違う。見ていない彼女の動画も、聞けていない彼女のラジオも、知らない彼女の曲すら存在する。これは紛れもない事実で、それを否定することは、彼女に対しても、いま彼女のことを大好きなファンの方々に対しても、どうにも不誠実に思えるからやめておく。ただ、あの頃の僕が、彼女のことを想いながら過ごした時間は何物にも代え難い"本物"で、あの時間たちを積み上げたその上に、現在の僕は立っている。

 きっと今日は、そういう記憶を一枚一枚めくりながら振り返るべき日なのだと僕は思う。今から書き記すのは、思い出せる限りの、あの頃の僕と宮脇咲良さんとの話だ。

 

2014

 ありきたりな書き出しになるが、彼女との出会いは確か、『ラブラドール・レトリバー』のMステだったと記憶している。古参ぶりたい!みたいな邪な気持ちから、もっと昔から好きだった、なんて嘯いたこともかつてはあったかもしれないが、ここが本当の最初である。島崎遥香さん目当てで見ていたところ、一瞬彼女が映りこんだときの「AKBにあんなに顔がかわいい女の子いた?見間違い?え、もう一回映してもらえる?」と動揺したその心中は、今でも思い出すことができる。推しを見つけた瞬間というのは、他のどこでも体験しようがない"はじまりの予感"が体内に轟くのだ。

 それから少しして『希望的リフレイン』のセンターが発表された日、僕はTwitterのアイドルオタクアカウントを初めて作った。「2014年9月からTwitterを利用しています」という無機質な表示が、僕にこの大切な日を思い出させてくれる。ちゃんと情報収集をしたいという考えもあったが、独りで好きでいるのではなく、誰かとこの感情を共有したいと思ったのだ。

 何から始めていいのか見当もつかないまま勢いに任せてフォローを飛ばすと、優しいオタクの皆さんがフォロバしてくれた。別のアカウントを使っている今でも、そのときフォローを返してくれた数人がFFとしてそこにいてくれることは、それぞれが違う誰かを好きになり、いいねを飛ばすことすら珍しいような関係性ながらも、どこか嬉しさと安心感がある。彼女との出会いは、彼女のことを好きな人たちとの出会いでもあった。

 

2015

 さて、『マジすか学園4』というドラマがこの世には存在した。ストーリーはどうでもいい(と言いつつ、相当しっかりめに覚えている)のだが、僕に効く配役だったので印象深い作品である。当時アイドルオタク初心者だった僕は、「ドラマまで追うくらい好きなんだぞ」という謎の気概を携えながら視聴していた覚えがある。修学旅行先のファミリーマートで、マジすか学園特集のAKB新聞を買い、初めてアイドルにお金を使った。それからは、彼女が表紙を飾るたびにありとあらゆる雑誌やコミック誌を買い漁った。今でも僕の机の下には雑誌とそのスクラップが所狭しと並び、ふと視線をやれば微笑んでいる彼女と目が合ってしまう。

 『希望的リフレイン』の後に『Green Flash』、そして『僕たちは戦わない』と続き、その間に『12秒』までリリースされたこの半年は、好きな気持ちがとめどなく高まり続けていた。好きになって少し経った頃というのは、いちばんアクセルが踏み込まれる時期なのだ。繰り返し指を差すフリとか、お風呂で泣いてるシーンとか、白いTシャツにピンクのパンツで踊るMVとか、指折りカウントダウンするラストとか覚えてますか?こういうひとつひとつが片っ端から心に刺さって、ふと気がつくと彼女のことを考えていた。

 ぐぐたすへのコメント競争に命を燃やしていたのも、この年である。や、ぐぐたすの話をしようとすると、懐かしさで笑えてきてしまう。更新を繰り返す日付が変わる周辺のあの時間がノスタルジックで、「さくらたすコメ完了!(その日のぐぐたすにあがった自撮りを添付)」のツイートで溢れたTLが目に浮かんで、それでいて今思うと本当に馬鹿馬鹿しいな、ぐぐたす。そもそも、コメント数に上限があるのなんなんだ。しかも500って。

 あの頃は想いを直接伝えられる場所が本当にあれくらいしかなかったから、本当に必死で毎晩毎晩コメントを書き綴っていた。Twitterやら755(完全に死語)やらを始めるってなったときに、僕含めぐぐたす過激派が「ぐぐたすでいいよ〜他はやらないで〜」って気持ちになってたのは、行くところまで行って狂ってたけど。ただ、毎日自分の感情を言語化して彼女のところまで届けるというこの作業はどう考えてもカロリーが高くて、それができるだけの強い想いを募らせていたのだと思うと、僕にとってはぐぐたすにまつわるたくさんの時間と言葉が、すごく大切な青春のように感じられて、今でも本当に愛おしい。

 

2016

 僕が今は亡きセンター試験を迎える頃、『君はメロディー』のセンターが決まったのを覚えている。言い忘れていたが、僕のアイドルオタクとしての生活は、大学受験と隣り合わせの存在であり、ここまで一度も現場には行けていない。彼女への想いは、受験勉強の大変さと比例するかのように強まって、いわば人生における光と陰、対を成しながらどちらも濃さを増していった。深夜のぐぐたすがあるからそこまでにカタをつけようとか、金曜日のMステに合わせて計画を立てようとか、様々な形で糧になったのが彼女の存在であったことに間違いはない。

 なんだかんだ無事に受験を済ませ、『君はメロディー』の円盤が届き、ペプシSAKURAを携えて迎えた3月19日のことを、僕は一生忘れないのではないだろうか。日付変更に合わせてプシュッと開けたペットボトルを片手に、部屋の片隅で"さくら味"なる独特の風味を漂わせながら、お祭り騒ぎのTLに浸っていたあの時間。真っ只中にいた自分よりも、いま振り返った自分のほうがよく分かる。あれは本当に幸せだった。

 大学に入学し、待ちに待った初めての握手会はと言うと、無券参戦だった。下見がてら握手会を覗きに行き、"咲良オタ"を中心に当時のFF数人と初めて顔を合わせた。彼らとなんとなく会話をしながら「ほんの数十メートル先にいるんだよな」と心の奥で思っていたのを記憶している。これ以降握手会に行きすぎてどうにも記憶が混濁しているのだが、みんなと一緒にパシフィコ横浜から横浜駅までふわふわと歩いた夜道は印象に残っている。

 彼女との謁見がようやく叶ったのは、『74億分の1の君へ』の全国握手会だった。ミニライブに関しては、もはや朧げにしか思い出せない。握手会の時間となり、馬鹿みたいに長いレーンに並び始めてからも特に実感が湧いていなかったが、あと数人というところまで来ると、本当に人生でいちばんの心拍数になった。この場で倒れるかもな、くらいは本気で思った。

 「初めて来ました」

 今となっては、なんと返事をしてくれたのかをはっきりとは覚えていない。ただ、至近距離で見た彼女の比類なき笑顔と、去り際にぎゅっと強められた彼女の握力は、僕の心のすべてを引き摺り込むには十分すぎた。それからは足しげく握手会に通った。色々な話をしたはずなのに、これも残念ながらほとんど覚えていない。僕の記憶に刻み込まれているのは、僕に笑いかけてくれる彼女の、鮮やかな面影だけである。

 

2017

 島崎遥香さんがAKB48を卒業し、手元に残るは『ハイテンション』で購入した握手券だけとなった。僕が最初に好きになったのが島崎遥香さんだったのは事実で、それは例のMステよりももう少し前の話になるわけだが、アイドルオタクを始めるときに「ぱるるが卒業したら僕もオタクを卒業しよう」という保険をかけて、この狂気に満ちた世界へと足を踏み入れた。今もなおオタクを続けているという事実を前にして、この保険がなんの意味も成していないことは明白なのだが、僕を彼女からひとたび引き離すという役割だけはしっかりと担ってしまった。

 今ここで言うと尚更皮肉な話だが、推しの卒業とは言葉には表せないほど感慨深くて、発表からその当日までそればかりを考えさせられる、そういう魔力を秘めている。当時の僕は、最初に好きになったアイドルである島崎遥香さんのことばかりを考え、正直2016年後半以降の僕の中では、彼女の存在がその1年前と比べて翳りつつあった。客観的に見れば、選抜総選挙および『LOVE TRIP』あたりで彼女のテンションも若干下がっていた、というのも少なからず理由としてあるのかもしれないが、推しのせいにするのは絶対に違うのでやめておく。とにかく、そのときの僕は「好きじゃなくなって離れる」ことがいちばん恐ろしく思えて、その前に自分の意思で離れよう、という気持ちを抱えていたのをよく覚えている。その理由づけが、アカウントを作ったあの日から温めておいた、島崎遥香さんの卒業だったのだ。

 2月4日、僕の19歳の誕生日に、最後の握手会に臨んだ。本当の最後になるとは思っていなかったのだが、結果的にはこれが最後の握手会である。僕にとっては「最後」だけど、もちろん彼女にはこれ以降来なくなるなんてことは言わず、ただの「誕生日のオタク」として列に並んていた。この頃には、気が合うオタクの友だちがちゃんとできていて、僕の前に並んだ友だちが「後ろの人が誕生日だから祝ってあげて!」なんて言ってくれたりしたのは嬉しかった。なんと、初めてサインも当たった。最後の握手会が自分の誕生日で、サインまで当選してしまうなんて、いやでも集大成を感じさせられた。今日が最後でいい、と思わされた。

 心残りの一つくらい、あったほうが良かったのかもしれない。

 あの日、同い年の彼女と、お互い20歳が近づいたということで、興味があるお酒の話になった。あれから彼女はチューハイを飲んだだろうか。僕はなんだか飲めずにいる。

 

 

 決して全てではないが、これが僕と宮脇咲良さんとの話だ。

 実はこの後、3月に春祭りというステージだけは見に行った。握手会とは違って、どの瞬間も大勢の中の一人だった。砂浜の砂つぶみたいに。この日、オタクの友だちとも別れを告げた。

 本当に些細で、それでいてとびっきり楽しかった思い出もまだまだある。帰り道で立ち寄ったガストも、狭い個室で騒いだカラオケも、パシフィコ横浜のかたい床の上に何時間も立たされる、握手会の待ち時間すら楽しかった。それはそばに彼女がいたからだ。誰かを好きであるというただそれだけの事実が与えてくれる幸せは、本当に大切にするべきだということを現在の僕は知っている。あの頃はちゃんと気づいていなかった。

 

 あのまま好きでいたら、あるいはどこかのタイミングで戻っていたら、僕はどうなっていたのかなんて分からないし、むしろ考えないようにしていた。それでも、例えばIZ*ONEの公式ツイートのリプ欄に、馴染みのあるアカウントを見かけたときに、なんとも言葉にしづらい少しばかりの罪悪感を味わったり、文字通り世界中の多くの人に知られるようになった彼女を見ながら、自分の手の中にあってもよかったはずの何かがすごく遠くに離れていくような、そんな喪失感を覚えたりはした。

 そんな現在の僕のモヤモヤとした想いは、あのまま好きだった世界線の僕や、どこかのタイミングで戻っていた世界線の僕のそれに比べたら、あまりに小さく儚くて、彼女にも、彼女のファンにも、どういう顔を向ければいいのかわからない。本来そうであるべきではなかった中途半端な気持ちで、今日の卒業コンサートを迎えてしまっていることくらい、自分がいちばんよく知っているのだ。彼女のことをあまりに遠くから見続けていたせいで、文字通りの通過点のようにすらこの卒業を感じてしまう自分の冷たさが、あの頃の友だちと完全には共感しきれない切なさが、僕に4年の経過を感じさせる。何を忘れてしまったのだろう。新しいものばかりを探して。

 それでも、かつての自分自身の選択に後悔はしない。彼女の姿を追いながら、この胸が切なくて苦しかったあの頃、僕は本当にたくさんの感情と思考を経験し、それを土台に今のアイドルオタクライフが成り立っている。その中で、僕は今も色々なことを思ったり感じたりしながら、それをあの頃と比べて懐かしむことも少なくない。今日の卒業コンサートを見て、僕が強く何かを感じられるかと言われるとその自信は無いけれど、泣きたかったあの頃を思って涙を流し、幸せだったあの頃を思って笑顔になれる。そんな気がする。ここまで語ってきた僕のアイドルオタクとしての時間にとって、ひとつの"終わり"であることに間違いはないから。

 4年の月日が流れようとも、彼女以上に好きになれる、いや"ガチ恋"してしまうアイドルには結局出会っていない。正直な話、いちばん好きな女の子、あるいは好きなタイプを聞かれたら、今でも彼女の名前を答えている。そんな僕は、いや、僕たちは、これから死ぬまで、3月19日が来るたびに「誕生日だな」と思ってしまうことを、どうしたって避けられないのだ。何より、彼女の誕生日を忘れてしまったら、僕はいくつかのアカウントにログインできなくなってしまう。それが一度アイドルを推したということの意味であり、推しとともに流れた時間と感情の残滓なのだ。

 

 

 最後に、宮脇咲良さん、卒業おめでとう。

 本当に卒業すべきかとか、いつ卒業すべきかなんてことは、賢いあなた自身がいちばん深く考えたことだろうし、その決心を100パーセント尊重して、どんな形になったとしても祝福していたと思います。

 あなたがこの先どこにいて、何をしていても、その姿を見ることができたら、僕はなんだか安心して日々を過ごせるような気がします。独りよがりな気持ちですが、僕にとってあなたはそういう特別な存在です。

 アイドルになってくれてありがとう。あなたに幸せでいてほしい。

 

 

 ここまで目を通してくれた、きっと宮脇咲良さんのことが好きなのであろう皆さまにも感謝します。こんな戯言のような文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。